メガネ大学のブログ

メガネかけてますがアホです。かしこくなりたい。

地元はどこだ

fkey.hatenablog.com

ちょっと前に書いたブログでも触れているのだが、僕には確固たる地元というものが存在しない。(厳密に言えば存在はしているのだが、多すぎて本人はいまいちピンと来ていない)
親が転勤族だったため、生まれてから高校まで横浜・大阪・福岡で過ごし、大学は山口、就職は福岡。
そして現在はいわゆるIターン?ってやつで山口県に住んでいる。

「ご出身はどちらですか?」と聞かれる場面があっても、咄嗟にパッと出てこない。
住んだことのある土地はたくさんあるからだ。

大阪から福岡の学校に転校した時は、関西人としての立ち振る舞いが求められたし、福岡から山口へ移り住んだときは、福岡人としての立ち振る舞いが求められた。
どこの土地に行っても共通するのは、まず「よそ者」として扱われるということ。

まあ、実際によそ者であることは事実なのでイヤとかそういうわけではないのだが、転校してからしばらくの間の、クラスメイトが無理して話を振ってくれたり、やたら優しくしてくれたりっていうのが、何というか申し訳ないような情けないような気持ちになってしまうのだ。今思えばとても有難いことなのだけど。

しかし、そんな転校生フィーバーも最初の数週間だけ。
次の引越し先が決まるまでの間、嫌われないように自分の感情は表には出さず場の空気を読み、周囲が期待するような人間を演じ続ける日々が待っている。
関西人としての自分、福岡人としての自分、そしてこれからは山口県民としての自分を。

自分のアイデンティティーの置き場がよく分からない。どこに帰属意識を持てばいいのかが分からず、日々なんとなく生きている。

よく「地元の幼なじみが~」みたいな会話を聞くと、なんだか羨ましい気持ちになる。
幼稚園から大人になるまでずーっと一緒!みたいな友達というのははっきり言っていない。

もちろん大人になってからでも友達は作れるわけだし、中学時代・高校時代・大学時代それぞれの友達で今でも付き合いのある親友は少ないながらもいる。
ただ、物心つく頃からいつの間にか築き上がってる友情と、ある程度大きくなってから築き上げる友情とではなんと言うか、うまく言い表せないけど濃度が違う気がする。
どっちが良い・悪いとかそういうことではないんだけれども、なんとなくそういった関係に憧れている自分がいる。

無条件で誰とでも仲良くなれるというのは、子供にのみ与えられた特権だと思う。
この年になってしまうと、むしろ他人と深い関係を持つことが怖いのだ。
大人になると、それぞれの立場とかしがらみとか色々あるしね。

そしてそれと同じように、マイホームを持ってしまうこと。つまりその土地に深く根ざしていくということに漠然とした不安感がある。
おそらくこの感覚はずっと自分の意識から抜けていくことはないだろう。


ただ、ここまでネガティブな事ばかり書いてきたけど、これらはある意味自分の強みでもあるとも思う。
土地に縛られないというのは、身軽でいられるということだ。

今の仕事を定年まで続けたのち、トレーラーハウスとかで日本中移動しながら暮らすというのも面白そうだ。
そもそも日本という国にこだわる必要もないじゃないか。
新婚旅行で行ったパラオにもう一度行ってみたい。
まだ一度も行ったことのないヨーロッパなんかも良いな。

夢は無限に広がっていく・・・

・・・が、残念ながらお金は有限だ。海外移住は現実的に考えて難しいだろう。
トレーラーハウスくらいが一番現実的かも。(それでも結構なお金が必要だろうけど)


一つ気がかりなのは、子供の存在。
まだ2歳だけどいずれ大人になって親元を離れ、都会の方へ移り住んでしまうかもしれない。
もしもそこで辛いことがあったときに帰れる地元がないというのは可哀相だし、親として申し訳ない。

そういうことを考えるとやっぱりマイホームはあった方が良いのかな、なんて思ってしまう。


難しいところだ。